◎どんな方でも坐れます
・仏教や禅を全く知らない方
・坐禅が初めての方
・心に迷いや煩悩がある方
・悩みや不安のある方
・自信の無い方
・膝などが悪い方は、椅子坐禅もできます
・腰や身体に一番良い姿勢をとりますので、
腰痛持ちや膝痛の方には特にお勧めします
※服装は、スカートやジーンズは避け、
ゆるやかなズボンでお願いします。
(寺で着替えOKです。)
◎坐禅会の流れ(内容)
土曜・日曜の坐禅会は、合計2時間、
水曜の坐禅会は合計1時間半が基本です。
最初の20分程度、住職が法話いたします
(仏教や禅で大事だと思うところをお話しします)
その後、1回25分ほどの坐禅を土曜・日曜でしたら計3回、
水曜でしたら計2回ほどいたします。
早朝坐禅は合計1時間です。
最初の数分間法話をしその後25分を2回坐禅します。
質疑応答の時間もとりますので、
疑問に思ったことなど、遠慮せずどんどんご質問してください。
・坐禅会の方針上座部仏教(初期仏教)でも、大乗仏教でも、通常の意味での「坐禅」(何らかの坐り方や呼吸法・瞑想法)が重視されてきましたが、それを根底から大転換したのが、六祖恵能禅師から始まる「禅」です。
・天正寺での「坐禅会」では、通常の仏教が根底から大転換され、新たな次元での「禅」を学び実践していきます。
天正寺での坐禅会では、具体的には、次のような(生きる)姿勢を実践していきます。
1.「持前・自性を信じ、養い修し、活溌溌(活き活き溌剌)に発揮していく姿勢」
2.「腰を据えた姿勢(やる気・元気が全身に充ちた姿勢)」
3.「『あれこれ無し』を常に主体的に実践していく姿勢」
・1番の補足。
臨済禅師は、次のように言っています。
「現に今、用いるところを信じよ。君は、その信が足りないから、アレコレと葛藤しているのだ。」
「君が、アレかコレかさまざまな選択の真っ只中で、『自由』でありたいと望むならば、今ここで、君自身が『活溌溌(活き活き溌剌としていること)』であって、『この形をとればよい』とか『これが根本だ』などと固く握るものは何もないことを、はっきりと見てとれ。」
馬祖禅師は次のように言っています。
「本来具足している自性は、すべて備わっていて、何一つ欠けておらず、自在に使用できるものだ。それなのに、君は、外に向かって駆け回って、何を求めているのだ!」
「本来有るものが、今現にある。そこには造作はいらない。造作して、『心を集中して禅定に入る』などというのは不用だ。」
あれこれと外に教えを探し回ったり、禅定(瞑想)という何らかの心理状態を作ろうとする必要はないことを、臨済禅師や馬祖禅師など最も優れた禅僧がたは、明確に語っています。
「坐禅」といっても、特別な理屈や方法は何もありません。私たち各自が、その「持前・自性」、つまり本来備わっており、今現に用いることのできる天性(天賦の本性)を、信じ、養い修し、活溌溌に発揮していきましょう。(ボーっとしていると、持ち腐りとなってしまい、天の恵みを無駄にしてしまいます。これ程もったいないことは他にありません。)
・2番の補足。
貝原益軒は次のように言っています。
「あらゆる病は、みな『気』から生じる。『病』とは気が病むことだ。だから、『生を養う道』は、気を調えることだ。気を養う道は、『常に腰を正しく据えること』だ。」
白隠禅師も、「気を養うこと」「全身に気が充ちるようにすること」を繰り返し強調しています。
「元気を全身に、すなわち三百六十個の関節、八万四千の毛穴に充たして、ほんの少しも元気が欠けたところがないようにしなさい。これが生を養うのに肝要なところだ。」
また白隠禅師は、「足を組み、静かな心にすること」が真の「坐禅」でなはく、気を全身に充たしている「不断坐禅」が重要だと説いています。
このような「不断坐禅」を私たちもしていきましょう
・3番の補足。
聖徳太子は、仏教を日本に導入するにあたり、「禅」「坐禅」に関して、画期的な大転換をしました。
「今いる散乱した世の中を離れて、静かな場所にこもって、そこで心を一つのこと(呼吸や何かを『ありのままに観ずる』など)」に集中するという普通の意味での「坐禅」を教える人には「親しみ近づいてはならない」と明確に書いています。
「今いる場所」を離れて、どこかにこもって、「今ここ」などと言っている時点すでにアレコレにとらわれています。
今いる環境の真っ只中で現にはたらいている心でなく、特殊なことだけに集中し「ありのままを観じている」などと言っている時点で、すでに心が現にとらわれています。
聖徳太子は、「不存彼此」(つまり、アレコレは元々ない)のに、勝手に、アレコレを自分で作って思い煩ったり争ったりしているところに人間の根本問題を見ています。
「彼此(あれこれ)をともに亡ずること、これが真の坐禅だ」と書いています。
「身体的」にも、「あれこれ無し」を実践することが具体的に可能です。(来ていただければ、実践的に説明いたします。)
例えば、腰痛に実際に効果があることが世界で認められている「マッケンジー体操」も、禅から見ると、「あれこれ無し」に立ち返り、「あれこれ無し」のまま自分の腕で立ち起きていること、これが腰に最善の姿勢となっています。(私自身が腰痛・ぎっくり腰を患ったりする中で、「あれこれ無しの実行」が、腰痛の治療にも予防にも、ベストであることを確信するようになりました。)
これは、必ずしも寝ころんだ姿勢でなく、立った姿勢でも、坐った姿勢でも実践できます。
「あれこれ無し」に立ち返り、「あれこれ無し」のまま自分の足(または腕)で立ち起きていく姿勢を具体的に実践していきましょう。
これは、足を組んだいわゆる坐禅の姿勢でも実践できます。(これがわかるといわゆる「坐禅」でもガラッと変わります。)
天正寺では、聖徳太子や臨済禅師等の言葉にしたがい、「あれこれ無し」を積極的に実践していくことを「坐禅」としています。
「あれこれ無し」を積極的・主体的にに実践実行していきましょう。
これは誰でも、どのような状況にあっても、実践していける道です。
1.腰痛やぎっくり腰で苦しんでいる人にとっても、最善の姿勢となります。ぎっくり腰で腰がひどく痛い時でも一番和らげる姿勢ですし、腰痛のリハビリや予防にも最善の姿勢をとれます。
2.スポーツをする時でも、例えば大リーガーのイチロー選手が、打席に入る前、ウェイティングサークルで最善の準備状態を行ずる姿勢と同様、どのようなスポーツや武道などをする場合でも、最善の準備状態を調える姿勢です。
3.仕事や勉強する姿勢、あるいは休憩の姿勢としても、最善の姿勢が「禅」であり「あれこれ無しの実践」です。
このようにどのような状況にある、どのような人にも自信をもって勧めることができる道です。
ご関心をもたれた方、ぜひ共に歩んでいきましょう。