住職・寺紹介

天正寺の沿革

万治元年(1655年)、備中神應寺泰嶽禅師の創建にして、円通山天正寺と称す。
洛西総持院門跡鏡山尼大和尚来って、泰嶽禅師に参じ、後第二世となる。
爾来尼僧法地となる。
第三世明室尼、明和元年(1764年)に再建す。
第十世義誠尼、昭和九年(1934年)、大黒堂建立す。
第十一世、昭和十六年(1941年)3月25日附にて大本山相国寺より特命住職を 命ぜられ第十一世より男僧法地となる。

住職のプロフィール

名前:佐々木奘堂(ささきじょうどう)
生年月日:昭和41年(1966年)1月27日
出生地:茨城県龍ヶ崎市



東京大学では、村上陽一郎先生指導のもと、科学論を専攻。
京都大学大学院では、河合隼雄先生・山中康裕先生指導のもと、臨床心理学を学んだ。
元臨床心理士。元京都大学教育学部助手。

特に探求したこと:仏教。禅。坐禅。姿勢・動き・呼吸の基本。
 臨床心理学。フロイト。ユング。
 オペラ「ドン・ジョヴァンニ」。
 パルテノン神殿の彫刻。

血液型:O型

これまでの経過
 わりあい紆余曲折の大きい人生のようにも思えますので、いくつかの時代ごとに、これまでの経過を簡単に述べます。
 おおまかには、住んだ地域によって、
「茨城時代」「京都時代」「大阪時代」と分けられますし、
戸籍上の名前の変化で、
「佐々木賢一時代」「佐々木承玄時代」「佐々木奘堂時代」とも分けられます。

茨城時代(大学入学まで)
出身地は茨城県です。いたって普通の家庭の出身です(家がお寺ではありません)。
茨城県龍ヶ崎市で、普通に育ち、高校は茨城県立の土浦一高を卒業した後、大学は東京大学理科Ⅰ類に入学しました。

東京時代(大学時代)
1985年(昭和60年) 東京大学理科Ⅰ類入学。
東大では理系で2年間学びましたが、その頃、臨床心理学の大家である河合隼雄先生の『宗教と科学の接点』を読んだことがきっかけで、「科学とは何か?」との疑問が大きくなってきました。
それで大学の専門課程は、教養学部教養学科第一に進学し、村上陽一郎先生のもとで、科学論(科学史・科学哲学)を専攻しました。
東大時代に、河合隼雄先生の本を何冊も読むにつれ、どうしても河合先生のもとで学びたいとの気持ちが強くなり、大学院は、河合先生のいる京都大学の教育学研究科に入学しました。

京都時代
1990年(平成2年) 京都大学大学院教育学研究科入学
大学院時代 京大の大学院では、河合隼雄先生や山中康裕先生の指導のもと、臨床心理学を5年間学びました。
大学院で5年間学んだ後に、2年間と期間を決めて、相国寺専門道場で修行しました。
修行者としていただいた名前が「承玄(じょうげん)」です。

以後が名前で言えば、佐々木承玄時代
1995年4月から2年間、相国寺専門道場で修行。
その後、また京大大学院に研究生として戻る。
1998年4月から2年間、京大助手として勤務。
2002年4月に、著書『こころの秘密――フロイトの夢と悲しみ』を出版
 (「新曜社」から購入できます。またアマゾンで中古で購入する場合はここをクリックください
2002年4月、再び相国寺専門道場に入り、修行生活。

2010年12月21日。 大阪天王寺区の天正寺の住職となる。いただいた名前(道号)は奘堂。
以後、大阪時代、佐々木奘堂時代が始まる。

趣味
・山歩き。大学時代はワンゲルのサークルに入っていました。
いわゆる日本百名山も半分以上の山は登っています。

・音楽鑑賞。モーツァルトのオペラが大好きです。
特に「ドン・ジョヴァンニ」は大好きで、ウィーン・ロンドン・プラハ等のオペラハウスで、計17回観ましたが、何度観ても感激は深まるばかりです。 
歌謡曲では、同い年である尾崎豊が好きです。
フィリピン出身の歌手シャリースの全盛期には深く感銘を受け応援していました。

・旅行。海外旅行も好きで、ほぼ毎年行ってます。
大まかに数えて行った回数が多い順に挙げると、イギリス、オーストリア、中国、ギリシャ、フランス、インド、チェコ、アメリカ、イスラエル等など(ここに挙げた国には2回以上行っています)。

・彫刻鑑賞。仏像も好きですが、特に大好きなのが、ギリシャ彫刻で、中でもパルテノン神殿にあった彫刻(現在、大英博物館にある)は、超感激で、10回ほど観にいっています。
それまでの坐禅の間違いに気づかせてくれたのもこの彫刻のお陰です。