30年前、家庭教師の福田君宅にて:
今から30年前、東京での学生時代、当時小学5年の福田君の家庭教師をした。
2時間のうち、途中の20分は休憩で、お互い好きなことしていい時間だった(お母さんからの希望で)。
福田家の本棚に、仏教の漫画がおいてあった。
(だいぶ後でその漫画を京都で探すと)「妙好人物語」という題の漫画だった。
一茶が、病気でお子さんを次々亡くし、妻も乳飲み子を残して亡くなる。
一茶は、たいへんな苦労な中で俳句をよむ。
「露の世は 露の世ながら さりながら」
(露のように、はかない世とわかってはいるけれど、さりながら…)
「名月や 膳に這いよる 子があらば」
(あの子が生きていたら、この月見団子を食べたいと膳に這いよってきただろうに…)
そのような悲しみの中で一茶は次の句をよみます。
「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ」
私は、この句に接して、涙が出そうになりました。
それも最初に見た時だけでなく、何度も福田君宅に行って、毎回それを見ても、涙がでそうになりました。
泣きそうなのを、子どもに知られるのは恥ずかしいし、その涙をかくして、家庭教師していたことを思い出します。
「どうしてこういう俳句(言葉)がこの状況で出てくるのだろう?」
「私の心が、何度も何度も、これに接して、こんなに毎回感動するとは、どういうことなのだろう?」
この問いが、その後の私の人生そのものです。
「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ」の謎は、今もいっこうに解けず、謎のままですが、これに感激する心は30年たっても何も変わっていないです。
(この点は、30年たっても少しも変っていない点です。)
この句に現れているような次元を私自身がただ生きていこうとする決意は、30年前よりも、はるかに強くなっています。
(ニューヨークで2017年5月1日に福田君と再会)