フランクル著『夜と霧』資料

『夜と霧』フランクル著。霜山徳爾訳。みすず書房。


第七章 苦悩の冠
(以下p165)
強制収容所にずっと長く留まることが人間に与える典型的な性格特徴を、心理学的に描写し、精神病理学的に説明しようとするこの試みは、人間の心が結局環境によって規定されるという印象を与えざるを得ないかもしれない。たとえば強制収容所では、そこでの生活が、独自な社会環境として、人間の行為を強制的に形づくるのではないだろうか。

 しかし人は当然のことながら異論をたてることができるのである。そして一体それではどこに人間の自由があるのかと問うであろう。一体与えられた環境条件に対する態度の精神的自由、行動の精神的自由は存しないのであろうか? 自然主義的な世界観や人生観が、人間は生物学的であれ、心理学的であれ、社会学的であれ、多様な規定性や条件の産物に他ならないとわれわれに信じさせようとすることは真実なのであろうか? 人間は従ってその身体的体質、その性格学的素質及びその社会的状況の偶然な結果に他ならないのだろうか。もっと具体的に言うならば、収容所生活という特殊な社会的条件の環境に対する人間の心理的反応において、人間は彼が強制的に入
(以上p165、以下p166)
れられたこの存在形式の影響から全く抜き出ることができないといえるであろうか? すなわち彼は収容所を支配していた「諸々の事情の強制の下に他のようにはできなかった」であろうか?
さてこの問題にわれわれは経験的にも理論的にも答えることができる。経験的には収容所生活はわれわれに、人間は極めてよく「他のようにもでき得る」ということを示した。人が感情の鈍麻を克服し刺戟性を抑圧し得ること、また精神的自由、すなわち環境への自我の自由な態度は、この一見絶対的な強制状態の下においても、外的にも内的にも存し続けたということを示す英雄的な実例は少くないのである。
強制収容所を経験した人は誰でも、バラックの中をこちらでは優しい言葉、あちらでは最後のパンの一片を与えて通って行く人間の姿を知っているのである。そしてたとえそれが少数の人数であったにせよ――彼等は、人が強制収容所の人間から一切をとり得るかも知れないが、しかしたった一つのもの、 すなわち与えられた事態にある態度をとる人間の最後の自由、をとることはできないということの証明力をもっているのである。

 「あれこれの態度をとることができる」ということは存するのであり、収容所内の毎日毎時がこの内的な決断を行う数千の機会を与えたのであった。その内的決断とは、人間からその最も固有なもの――内的自由を奪い、自由と尊厳を放棄させて外的条件の単なる玩弄物とし、「典型的な」収容所囚人に鋳直そうとする環境の力に陥るか陥らないか、という決断なのである。

 あらゆる可能な視点の中で究極のものであるこの視点よりみると強制収容所内の囚人の心理的反応様
(以上p166、以下p167)
式は、ある身体的、心理的、社会的条件の単なる表現以上のものと思わざるを得ないのである――たとえ食物のカロリー不足や睡眠不足やいろいろな心理的「コンプレックス」が、人間が典型的な収容所根性に堕してしまうのを理解させるとは言え最後の観点においては人間の内部に起ったもの、内的決断の結果が示されるのである。原則的に言えば各人はかかる状態の上でもなお、収容所において何が彼から――精神的意味で――出てくるかということを何らかの形で決断し得るのである。すなわち典型的な「収容所囚人」になるか、あるいはここにおいてもなお人間としてとどまり、人間としての尊厳を守る一人の人間になるかという決断である。

 ドストエフスキーはかつて「私は私の苦悩にふさわしくなくなるということだけを恐れた」と言った。もし人が、その収容所内での行動やその苦悩や死が今問題になっている究極のかつ失われ難い人間の内的な自由を証明しているようなあの殉教者的な人間を知ったならば、このドストエフスキーの言葉がしばしば頭に浮んでくるに違いない。彼等はまさに「その苦悩にふさわしく」あったということが言えるのであろう。彼等は義しき苦悩の中には一つの業績、内的な業績が存するということの証しを立てたのである。人が彼から最後の息を引きとるまで奪うことのできなかった人間の精神の自由は、また彼が最 後の息を引きとるまで彼の生活を有意義に形成する機会を彼に見出さしめたのである。なぜならば創造 的に価値を実現化することができる活動的生活や、また美の体験や芸術や自然の体験の中に充足される
(以上p167、以下p168)
享受する生活が意義をもつばかりでなく、さらにまた創造的な価値や体験的な価値を実現化する機会が ほとんどないような生活――たとえば強制収容所におけるがごとき――でも意義をもっているのである。すなわちなお倫理的に高い価値の行為の最後の可能性を許していたのである。それはつまり人間が全く外部から強制された存在のこの制限に対して、いかなる態度をとるかという点において現われてくるのである。創造的及び享受的生活は囚人にはとっくに閉ざされている。しかし創造的及び享受的生活ばかりが意味をもっているわけではなく、生命そのものが一つの意味をもっているなら、苦悩もまた一つの意味をもっているに違いない。苦悩が生命に何らかの形で属しているならば、また運命も死もそうである。苦難と死は人間の実存を始めて一つの全体にするのである!

(4月19日、ここまで。)

●5月3日はここから:

 一人の人間がどんなに彼の避けられ得ない運命とそれが彼に課する苦悩とを自らに引き受けるかというやり方の中に、すなわち人間が彼の苦悩を彼の十字架としていかに引き受けるかというやり方の中に、たとえどんな困難の状況にあってもなお、生命の最後の一分まで、生命を有意義に形づくる豊かな可能性が開かれているのである――ある人間が勇気と誇りと他人への愛を持ち続けていたか、それとも極端に尖鋭化した自己保持のための闘いにおいて彼の人間性を忘れ、収容所囚人の心理について既述したことを想起せしめるような羊群中の一匹に完全になってしまったか――その苦悩に満ちた状態と困難な運命とが彼に示した倫理的価値可能性を人間が実現化したかあるいは失ったか――そして彼が「苦悩にふ
(以上p168、以下p169)
さわしく」あったかあるいはそうでなかったか――。
かかる考察を現実からは遠いとか世間離れしているとか考えてはいけない。確かにかかる道徳的な高さはごく僅かな人間にのみ可能であり、ごく僅かな人間だけが収容所で内的な自由について充分知っており、苦悩が可能にした価値の実現へと飛躍し得たのかもしれない。しかしそれがたった一人であったとしても――彼は人間がその外的な運命よりも内的に一層強くあり得るということの証人たり得るのである。しかもかかる証明は多かったのである。

 そしてそれは強制収容所においてばかりではない。人間は到る処で運命に対決せしめられるのであり、単なる苦悩の状態から内的な業績をつくりだすかどうかという決断の前に置かれるのである。たとえば病める人間の、特に治癒の見込みのない人間の運命を考 えて欲しい。私自身かってある比較的若い患者の手紙を読まして貰ったことがある。そのうちで彼はその友に宛てて、自分はもう生きられないこと、手術も彼を救えないことを知ったと書いていた。しかし 彼はさらに書き続けて、自分は、勇気と品位を保ちながら死に向って行った一人の男が描かれているある映画を思い出したが、当時自分はこの映画を見て、かくもしっかりと死に向えることは「天の賜物」だと考えたが、今や運命は自分にもこのチャンスを与えてくれた、と書いているのであった。

 またその当時トルストイの原作による「復活」という別な映画を見た人が、ここにこそ偉大な運命が あり偉大な人間が描かれているといい、ただわれわれにはそんな運命は恵まれず、かつかかる人間的偉
(以上p169、以下p170)
大さに成長する機会をもっていないと考え――その上映が終ってから近くのカフェーでサンドウィッチとコーヒーを飲みながら、一瞬間だけ意識をよぎったさっきの形而上的な想いを忘れてしまうといったことは幾らでもみられた。しかしその人間自身が今度は自ら大きな運命の上に立たされ、自己の内的な偉大さで向わねばならない決断の前に置かれるとすると彼はもはや以前考えたことをすっかり忘れて諦めてしまうのである――。

 しかし彼がいつかふたたび映画館に坐り、同じような映画が上映されるのを見るようなことがあったとすれば、彼の心の目の前には同時に想い出のフィルムが廻り、感傷的な映画作品よりも遙かに偉大なことをその生涯において実現化した収容所のある人々を想い出すであろう。そして人間の内的な偉大さを示す幾つかのエピソードのあれこれの細かい内容を想い起すであろう。

 私自身もたとえばこの目でみた強制収容所におけるある一人の若い女性の死を想い出すのである。その話は単純であり、多く語るを要しないのであるが、それにも拘わらずまるで創作されたように詩的な響きをもっているように思われるのである。

 この若い女性は自分が近いうちに死ぬであろうことを知っていた。それにも拘わらず、私と語った時、彼女は快活であった。「私をこんなひどい目に遭わしてくれた運命に対して私は感謝していますわ。」と言葉どおりに彼女は私に言った。「なぜかと言いますと、以前のブルジョア的生活で私は甘やかされて
(以上p170、以下p171)
いましたし、本当に真剣に精神的な望みを追ってはいなかったからですの。」その最後の日に彼女は全く内面の世界へと向いていた。「あそこにある樹はひとりぼっちの私のただ一つのお友達ですの。」と彼 女は言い、バラックの窓の外を指した。外では一本のカスタニエンの樹が丁度花盛りであった。病人の寝台の所に屈んで外をみるとバラックの病舎の小さな窓を通して丁度二つの蠟燭のような花をつけた一本の緑の枝を見ることができた。「この樹とよくお話しますの。」と彼女は言った。私は一寸まごついて彼女の言葉の意味が判らなかった。彼女は謡妄状態で幻覚を起しているのだろうか? 不思議に思って私は彼女に訊いた。「樹はあなたに何か返事をしました?――しましたって!――では何て樹は言ったのですか?」 彼女は答えた。「あの樹はこう申しましたの。私はここにいる――私はここに――いる。私はいるのだ。永遠のいのちだ......。」

 既述のように強制収容所の人間における内面的生活の崩壊の究極的な理由は、種々数えあげられた心理的身体的原因の中に存しないで、ある自由な決断に基づくものだとすれば、このことはもっとも詳細に述べられなくてはならない。収容所の囚人についての心理学的観察は、まず最初に精神的人間的に崩壊していった人間のみが、収容所の世界の影響に陥ってしまうということを示している。またもはや内面的な拠り所を持たなくなった人間のみが崩壊せしめられたということを明らかにしている。ではこの内的な拠り所とはどこに存するべきであり、どこに存し得るのであろうか? これがいまやわれわれの
(以上p171、以下p172)
問題なのである。

 かつての収容所囚人の体験の報告や談話が一致して示していることは、収容所において最も重苦しいことは囚人がいつまで自分が収容所にいなければならないか全く知らないという事実であった。彼は釈放期限などというものを全く知らないのである。釈放期限は――もしそれが問題になるとしたら(たとえばわれわれの収容所では一度だってこんなことは論じられたことはなかった)――全く不明で、収容期限は限りなく長いものになるのであった。ある著名な心理学者が、収容所における存在様式は「仮りの存在」と名づけられ得るということを指摘したが、われわれはこの特徴の指摘を次のように言って補 いたいと思う。すなわち強制収容所における囚人の存在は「期限なき仮りの状態」と定義されるのである。

 新入りの囚人が収容所にやってくると彼等は通常そこを支配している状態について何らの真実も知っていないのであった。収容所から帰ってきたものがあったとしても彼は沈黙していなければならなかったし、またある収容所からはまだ誰も戻ってきたことはないのであった。......収容所に入って行くと共に彼の心内風景は変って行くのである。すなわち未知が終ると共に......今度は終りの未知がもうやってくるのである。この存在形式が終るのか、終らないのか、終るならばいつ終るかは全く見究めることができないのである。
(以上p172)

2020年04月15日