聖徳太子「憲法十七条」

十七条憲法 聖徳太子制定(604年)

◎第一条
一曰、以和為貴、無忤為宗。人皆有党。亦少達者。以是、或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。 

一(いち)に曰(いわ)く、和(わ)をもって貴(とうと)しとなす。忤(さから)うこと無(な)きを宗(むね)とす。人(ひと)みな党(とう)あり。また達者(たっしゃ)少(すく)なし。ここをもって、あるいは君(くん)父(ぷ)に順(したが)わず、また隣(りん)里(り)に違(たが)う。しかれども、上(かみ)和(やわ)らぎ、下(しも)睦(むつ)びて、事(こと)を論(ろん)ずるに諧(やわ)らぎをもってするときは、事理(じり)おのずから通(つう)ず。何事(なにごと)か成(な)らざらん。

(注)諧(かい):ととのう。かなう。やわらぐ。調和する。冗談。ユーモア。第十五条にも用いられている。

 人と人とが調和していること(各自の心も和らいでいること)は、何よりも貴いことであり、他の人と反目し合わないようにすることが大切である。
 人はみなそれぞれ党派心がある。また本当に優れた者は少ない。したがって、仕えるべき主君(上司)や父(両親)に背いたり、あるいは周りの人たちと意見を違えたりすることにもなるのだ。
 しかしながら、人々が上とも下とも和らぎ睦まじくし、物事を話し合う際に、和諧(やわらぎ)をもってするならば、ことがらはおのずから通ずる。何ごとも成しとげられないことはない。

◎第二条
二曰、篤敬三宝。々々者仏法僧也。則四生之終帰、万国之極宗。何世何人、非貴是法。人鮮尤悪。能教従之。其不帰三宝、何以直枉。

二(に)に曰(いわ)く、篤(あつ)く三(さん)宝(ぽう)を敬(うやま)え。三(さん)宝(ぽう)とは、仏(ほとけ)と法(ほう)と僧(そう)なり。すなわち四(し)生(しょう)の終帰(よりどころ)、万国(ばんこく)の極宗(おおむね)なり。いずれの世(よ)、いずれの人(ひと)か、この法(のり)を貴(とうと)ばざらん。人(ひと)、はなはだ悪(あ)しきもの鮮(すく)なし。よく教(おし)うるをもて従(したが)う。それ三宝(さんぽう)に帰(き)せずんば、何(なに)をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん。

(注)四生(ししょう):胎生・卵生・湿生・化生。すべての生物のこと。

 まごころをこめて三法をうやまいなさい。三宝とは、仏と法(仏の説いた教え)と、僧(仏法を学び行ずる集まり)のことである。これは生きとし生けるものの最後のよりどころであり、すべての国にとって最も大切な教えである。したがって、いずれの時代でも、いかなる人でも、この教えを尊重しないでよいということがあろうか。
 極悪の人間というのは非常に少ない。よく教え導いたならば、しっかり教えに従うものである。三宝を拠り所にする(仏法を尊ぶ)のでなければ、どうやって、曲がった心や行ないを、正しくすることができようか。

◎第三条
三曰、承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆臣載。四時順行、万気得通。地欲覆天、則致壊耳。是以、君言臣承。上行下靡。故承詔必慎。不謹自敗。

三(さん)に曰(いわ)く、詔(みことのり)を承(うけたまわ)りては必(かなら)ず謹(つつし)め。君(きみ)をば天(てん)とす。臣(しん)をば地(ち)とす。天(てん)は覆(おお)い、地(ち)は載(の)す。四(しい)時(じ) 順(したが)い行(おこな)いて、万(ばん)気(き)通(かよ)うことを得(う)。地(ち)、天(てん)を覆(おお)わんとするときは、壊(やぶ)るることを致(いた)さん。ここをもって、君(きみ)言(のたま)うときは臣(しん) 承(うけたまわ)る。上(かみ) 行(おこな)うときは下(しも) 靡(なび)く。ゆえに詔(みことのり)を承(うけたまわ)りては必(かなら)ず慎(つつし)め。謹(つつし)まずば、おのずから敗(やぶ)れん。

君主の詔勅を受けたときには、必ずそれを謹んで受けなさい。いわば、君主は天のようなものであり、臣民たちは地のようなものである。天は上から覆い、地は下で支え載せている。春・夏・秋・冬の四季が順調に移りゆき、万物の気が、それぞれ通いあい、うまくいっているのである。
 もしも地が天を覆うようなことがあれば、破壊が起こるだけである。こういうわけだから、君主が命じたなら臣民はそれを承って実行し、上の人が行なうことに、下の人々も従って行動していく。だから君主の詔勅を受けたならば、必ず謹んで奉じなさい。もしも謹んで奉じないなら、おのずから事は失敗してしまうであろう。

◎第四条
四曰、群卿百寮、以礼為本。其治民之本、要在乎礼、上不礼、而下非斉。下無礼、以必有罪。是以、君臣有礼、位次不乱。百姓有礼、国家自治。

四(よん)に曰(いわ)く、群(ぐん)卿(けい) 百(ひゃく)寮(りょう)、礼(れい)をもって本(もと)とせよ。それ民(たみ)を治(おさ)むる本(もと)は、必(かなら)ず礼(れい)にあり。上(かみ) 礼(れい)なきときは、下(しも) 斉(ととのお)らず。下(しも) 礼(れい)なきときは、必(かなら)ず罪(つみ)あり。ここをもって、君(くん)臣(しん) 礼(れい)あるときは、位(い)次(じ) 乱(みだ)れず。百(ひゃく)姓(せい) 礼(れい)あるときは、国(こっ)家(か)おのずから治(おさ)まる。

(注)「群臣」となっている写本が多いが、日本書紀の版本に従い「君臣」を取った。第九条も同じ。

 国家の官僚や地方の役人たちは、「礼」を根本としなさい。そもそも国民を治める根本は、必ず「礼」にあるからである。上の人々に礼がなければ、下の民衆は秩序が保たれないで乱れることになる。また下の民衆のあいだで礼がなければ、必ず罪を犯すようなことが起こる。したがって、君主も、臣下である役人もともに礼があれば、社会秩序が乱れないことになるし、またもろもろの国民に礼があれば、国家はおのずから治まるものである。

◎第五条
五曰、絶饗棄欲、明弁訴訟。其百姓之訟、一日千事。一日尚爾、況乎累歳。頃治訟者、得利為常、見賄聴讞。便有財之訟、如石投水。乏者之訴、似水投石。是以貧民、則不知所由。臣道亦於焉闕。

五(ご)に曰(いわ)く、饗(あじわいのむさぼり)を絶(た)ち、欲(たからのほしみ)を棄(す)てて、明(あき)らかに訴訟(うったえ)を弁(さだ)めよ。それ百(ひゃく)姓(せい)の訟(うったえ)は、一(いち)日(にち)に千(せん)事(じ)あり。一(いち)日(にち)すらなお爾(しか)るを、いわんや歳(とし)を累(かさ)ねてをや。このごろ訟(うったえ)を治(おさ)むる者(もの)、利(り)を得(え)るを常(つね)とし、賄(まいない)を見(み)ては讞(ことわりもうす)を聴(き)く。すなわち財(ざい)あるものの訟(うったえ)は、石(いし)をもって水(みず)に投(な)ぐるがごとし。乏(とぼ)しきものの訟(うったえ)は、水(みず)をもって石(いし)に投(な)ぐるに似(に)たり。ここをもって、貧(まず)しき民(たみ)は所由(せんすべ)を知(し)らず。臣(しん)の道(みち)またここに闕(か)く。

 役人たちは(国民から提供される賄賂的な)飲み食いの貪りをやめ、(金や色等の)欲をすてて、国民の訴訟を明白に裁かなければならない。国民のなす訴えは、一日に千件にも及ぶほど多くあるものである。一日でさえそうであるのに、まして、年を重ねてゆく間には、その数は測り知れないほど多くなる。
 このごろのありさまを見ると、訴訟を取り扱う役人たちは私利私欲を図るのがあたりまえとなって、賄賂を取って当事者の言い分をきいて、裁きをつけてしまう。
 だから財産ある人の訴えは、石を水の中に投げ入れるようにたやすく目的を達成し、反対に貧乏な人の訴えは、水を石に投げかけるように、とても聴き入れられない。こういうわけであるから、貧乏人は、何をたよりにしてよいのか、さっぱりわからなくなってしまう。これでは、臣民としての道も欠けてしまっている。

◎第六条
六曰、懲悪勧善、古之良典。是以无匿人善、見悪必匡。其諂詐者、則為覆国家之利器、為絶人民之鋒剣。亦佞媚者、対上則好説下過、逢下則誹謗上失。其如此人、皆无忠於君、无仁於民。是大乱之本也。

六(ろく)に曰(いわ)く、悪(あく)を懲(こ)らし善(ぜん)を勧(すす)むるは、古(いにしえ)の良(よ)き典(のり)なり。ここをもって、人(ひと)の善(ぜん)を匿(かく)すことなく、悪(あく)を見(み)ては必(かなら)ず匡(ただ)せ。それ諂(へつら)い詐(あざむ)く者(もの)は、国(こっ)家(か)を覆(くつがえ)す利器(りき)なり。国(こく)民(みん)を絶(た)つ鋒(ほう)剣(けん)なり。また侫(かだ)み媚(こ)ぶる者(もの)は、上(かみ)に対(たい)しては好(この)みて下(しも)の過(あやまち)を説(と)き、下(しも)に逢(あ)いては上(かみ)の失(あやまち)を誹謗(そし)る。それこれらの人(ひと)は、みな君(きみ)に忠(ちゅう)なく、民(たみ)に仁(じん)なし。これ大(だい)乱(らん)の本(もと)なり。

 悪を懲らし善を勧めるということは、昔からの良いしきたりである。だから他人のなした善は、これをかくさないで顕し、また他人が悪をなしたのを見れば、必ずそれをやめさせて、正しくしてやれ。
 諂(へつら)ったり詐(いつわ)ったりする者は、国家を覆し滅ぼす鋭利な武器であり、国民を絶ち切る鋭い刃のある剣である。また、おもねり媚びる者は、上の人々に対しては好んで目下の人々の過失を告げ口し、また部下の人々に出会うと上役の過失をそしるのが常である。このような人は、みな主君に対しては忠心なく、国民に対しては仁徳がない。これは世の中が大いに乱れる根本なのである。

◎第七条
七曰、人各有任。掌宜不濫。其賢哲任官、頌音則起。姧者有官、禍乱則繁。世少生知。剋念作聖。事無大少、得人必治。時無急緩。遇賢自寛。因此国家永久、社禝勿危。故古聖王、為官以求人、為人不求官。

七(なな)に曰(いわ)く、人(ひと)おのおの任(にん)あり。掌(つかさど)ること、濫(みだ)れざるべし。それ賢(けん)哲(てつ) 官(かん)に任(にん)ずるときは、頌(ほ)むる音(こえ)すなわち起(お)こり、奸(かん)者(じゃ) 官(かん)を有(たも)つときは、禍(か)乱(らん)すなわち繁(しげ)し。世(よ)に、生(う)まれながら知(し)るひと少(すく)なし。よく念(おも)いて聖(せい)となる。事(こと) 大(だい)小(しょう)となく、人(ひと)を得(え)て必(かなら)ず治(おさ)まる。時(とき) 急(きゅう)緩(かん)となく、賢(けん)に遇(あ)いておのずから寛(ゆたか)なり。これによりて、国(こっ)家(か)永(えい)久(きゅう)にして、社(しゃ)稷(しょく)危(あや)うからず。故(ゆえ)に古(いにしえ)の聖(せい)王(おう)、官(かん)のため人(ひと)を求(もと)む。人(ひと)のために官(かん)を求(もと)めず。

(注)社稷(しゃしょく):朝廷や国家。

 人には、おのおのその任務がある。職務に関して乱れないようにせよ。賢明な人格者が官職にあるときには、ほめたたえる声が起こり、よこしまな者が官職にあるときには、災禍や乱れがしばしば起こるものである。
 世の中には、生まれながら聡明な者は少ない。よく考え、心がけることで、聖者のようになる。およそ、ことがらの大小にかかわらず、適任者を得たならば、世の中は必ず治まるものである。時代の動きが激しいときでも、ゆるやかなときでも、立派な人物を得たときには、世の中はおのずから豊かに伸びやかになる。これによって国家は永久に栄え、危うくなることはない。
 だから、昔の立派な聖王は、官職に適した人物を求めたのであり、決してその人物のために官職を設けることはしなかったのである。

◎第八条
八曰、群卿百寮、早朝晏退。公事靡監。終日難尽。是以、遅朝不逮于急。早退必事不尽。

八(はち)に曰(いわ)く、群(ぐん)卿(けい) 百(ひゃく)寮(りょう)、早(はや)く朝(まい)りて晏(おそ)く退(まか)でよ。公(く)事(じ) 監(いとま)なし。終日(ひねもす)にも尽(つく)しがたし。ここをもって、遅(おそ)く朝(まい)るときは急(きゅう)なることに逮(およ)ばず。早(はや)く退(まか)るときは必(かなら)ず事(こと)尽(つ)くさず。

 もろもろの役人たちは、朝は早く役所に出勤し、夕はおそく退出せよ。公の仕事は、うっかりしている暇(いとま)がない。終日つとめてもなし終えがたいものである。したがって、遅く出仕したのでは緊急の事に間に合わないし、また早く退出したのでは、必ず仕事を十分になしとげないことになるのである。

◎第九条
九曰、信是義本。毎事有信。其善悪成敗、要在于信。君臣共信、何事不成。君臣无信、万事悉敗。

九(きゅう)に曰(いわ)く、信(しん)はこれ義(ぎ)の本(もと)なり。事(こと)ごとに信(しん)あるべし。それ善(ぜん)悪(あく)成(せい)敗(ばい)は必(かなら)ず信(しん)にあり。君(くん)臣(しん)ともに信(しん)あるときは、何(なに)事(ごと)か成(な)らざらん。君(くん)臣(しん) 信(しん)なきときは、万(ばん)事(じ)ことごとく敗(やぶ)れん。

 「信(まこと、まごころ)」は人の道(義)の根本である。何ごとをなすにあたっても、「信」をもってすべきである。善いことも悪いことも、成功するのも失敗するのも、必ずこの「信」があるかどうかにかかっているのである。
 君主も臣民も共に「信」をもって事にあたったならば、どんなことでも成しとげられないことはない。これに反して、君主や臣民にまごころがなければ、あらゆることがらがみな失敗してしまうであろう。

◎第十条
十曰、絶忿棄瞋、不怒人違。人皆有心。々各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理、詎能可定。相共賢愚、如鐶无端。是以、彼人雖瞋、還恐我失。我独雖得、従衆同挙。

十(じゅう)に曰(いわ)く。忿(こころのいかり)を絶(た)ち、瞋(おもてのいかり)を棄(す)てて、人(ひと)の違(たが)うことを怒(おこ)らざれ。人(ひと)みな心(こころ)あり。心(こころ)おのおの執(と)るところあり。彼(かれ) 是(ぜ)とすれば、我(われ)は非(ひ)とす。我(われ) 是(ぜ)とすれば、彼(かれ)は非(ひ)とす。我(われ) 必(かなら)ずしも聖(せい)にあらず。彼(かれ) 必(かなら)ずしも愚(ぐ)にあらず。ともにこれ凡(ぼん)夫(ぷ)のみ。是非(ぜひ)の理(ことわり)、詎(たれ)かよく定(さだ)むべけんや。あいともに賢(けん)愚(ぐ)なること、鐶(みみがね)の端(はし)なきがごとし。ここをもって、かの人(ひと)は瞋(いか)るといえども、かえって我(わ)が失(あやまち)を恐(おそ)れよ。我(われ)ひとり得(え)たりといえども、衆(しゅう)に従(したが)いて同(おな)じく挙(おこな)え。

 心の中の怒りを絶ち、外に対して怒ることも捨てて、そして他の人たちが間違ったと思えても、それを怒るな。
 人は誰でも「心」がある。心があるということは、それぞれが「執する」ところがあるというとこである。他人が「正しい」とすることでも、自分は「間違いだ」と思う。自分が「正しい」とすることを、相手は「間違い」とする。
 しかし自分が必ずしも聖人なのではないし、また相手が必ずしも愚者なのでもない。両方ともに凡夫にすぎないのである。正しいとか、まちがっているとかいうことを、誰が断定できようか。お互いがともに賢や愚が入り混じって決めがたいものであることは、ちょうど丸い輪には端がないようなものである。
 それゆえに、他人が自分に対して怒ることがあっても、むしろ自分に過失がなかったかどうかを反省せよ。また自分としては正しいと思っても、多くの人々の意見を尊重して同じように行動せよ。

◎第十一条
十一曰、明察功過、賞罰必当。日者賞不在功。罰不在罪。執事群卿、宜明賞罰。

十(じゅう)一(いち)に曰(いわ)く、功(こう)過(か)を明(あき)らかに察(み)て、賞(しょう)罰(ばつ) 必(かなら)ず当(あ)てよ。このごろ賞(しょう)は功(こう)においてせず、罰(ばつ)は罪(つみ)においてせず。事(こと)を執(と)る群(ぐん)卿(けい)、賞(しょう)罰(ばつ)を明(あき)らかにすべし。

 功績と過失をはっきりと見きわめて、賞も罰も必ず正当であるようにせよ。ところが、このごろは、功績のない者に賞を与えたり、罪のない者を罰したりすることがある。このような仕事にあたっている役人たちは、賞罰を明らかにして評価して正当に与えるようにすべきである。

◎第十二条
十二曰、国司国造、勿斂百姓。国非二君。民無両主。率土兆民、以王為主。所任官司、皆是王臣。何敢与公、賦斂百姓。

十(じゅう)二(に)に曰(いわ)く、国司(くにのつかさ)・国造(くにのみやつこ)は、百(ひゃく)姓(せい)より斂(おさ)めとることなかれ。国(くに)に二(に)君(くん)なし。民(たみ)に両(りょう)主(しゅ)なし。率(そつ)土(ど)の兆(ちょう)民(みん)は王(おう)をもって主(しゅ)となす。所任(にんずるところ)の官司(かんし)はみなこれ王臣(おうのしん)なり。何(なん)ぞあえて公(こう)と、百(ひゃく)姓(せい)に賦斂(おさめと)らん。

 もろもろの地方長官は、その土地の国民から勝手に税を取り立ててはならない。一つの国に二人の君主はなく、国民が二人の君主をもっているわけではない。全国土の無数に多い国民は、国王を主君とするのである。官職に任命されたもろもろの役人たちはみな君主の臣下なのである。国の税金以外に、自分たちの私欲のために国民から税を取り立てるというようなことをしてよいということがあろうか。

◎第十三条
十三曰、諸任官者、同知職掌。或病或使、有闕於事。然得知之日、和如曽識。其以非与聞。勿防公務。

十(じゅう)三(さん)に曰(いわ)く、諸(もろもろ)の官(かん)に任(にん)ぜる者(しゃ)、同(おな)じく職(しょく)掌(しょう)を知(し)れ。あるいは病(やまい)し、あるいは使(つかい)して、事(こと)に闕(かけ)たることあらん。しかれども知(し)ることを得(う)る日(ひ)には、和(わ)すること曽(さき)より識(し)れるがごとくせよ。それ与(あずか)り聞(き)かずということをもって、公(こう)務(む)を妨(さまた)ぐることなかれ。

(注)職掌(しょくしょう):担当の職務。

 もろもろの官職に任命された者は、同じ職場に勤めている者の仕事の内容を知っておくべきである。あるいは病にかかったり、あるいは出張していて、仕事をなしえないことがあるであろう。しかしながら仕事をつかさどることができた日には、人と和してその職務につき、あたかもずっとお互いに協力していたかのごとくにせよ。(病や出張等で仕事を離れていた人が戻ってきたときには、その人が引き続き仕事できるように調えておくように。) 自分には関係のなかったことだといって公務を妨げてはならない。

◎第十四条
十四曰、群臣百寮、無有嫉妬。我既嫉人、々亦嫉我。嫉妬之患、不知其極。所以、智勝於己則不悦。才優於己則嫉妬。是以、五百之乃今遇賢。千載以難待一聖。其不得賢聖。何以治国。

十(じゅう)四(よん)に曰(いわ)く、群(ぐん)臣(しん) 百(ひゃく)寮(りょう)、嫉(しっ)妬(と)あることなかれ。我(われ)すでに人(ひと)を嫉(うらや)むときは、人(ひと)また我(われ)を嫉(うらや)む。嫉(しっ)妬(と)の患(うれ)え、その極(きわま)りを知(し)らず。このゆえに、智(ち) 己(おの)れに勝(まさ)るときは悦(よろこ)ばず。才(さい) 己(おの)れに優(まさ)るときは嫉(しっ)妬(と)す。ここをもって、五(ご)百(ひゃく)歳(さい)にしていまし賢(けん)に遇(あ)うとも、千(せん)載(さい)にしてひとりの聖(せい)を待(ま)つこと難(かた)し。それ聖(せい)賢(けん)を得(え)ざれば、何(なに)をもってか国(くに)を治(おさ)めん。

 もろもろの役人たちは、他人を嫉妬してはならない。自分が他人を嫉(ねた)めば、他人もまた自分を嫉む。そして嫉妬の憂いは際限のないものである。
 だから、他人の智恵が自分よりも勝れていると、それを悦ばないし、また他人の才能が自分よりも優れていると、それを嫉妬するものである。
 このゆえに、五百年たって賢人が世に出ても、また千年たってから聖人が世に現われても、それを嫉妬によってつぶしてしまうならば、ついに賢人・聖人を得ることは難しいであろう。もしも賢人・聖人を得ることができないならば、どうして国を治めることができようか。

◎第十五条
十五曰、背私向公、是臣之道矣。凡人有私必有恨。有憾必非同、非同則以私妨公。憾起則違制害法。故初章云、上下和諧、其亦是情歟。

十(じゅう)五(ご)に曰(いわ)く、私(わたくし)に背(そむ)き公(おおやけ)に向(む)くは、これ臣(しん)の道(みち)なり。およそ人(ひと)、私(わたくし)あるときは必(かなら)ず恨(うら)みあり。憾(うら)みあるときは必(かなら)ず同(ととのお)らず。同(ととのお)らざるときは私(わたくし)をもって公(おおやけ)を妨(さまた)ぐ。憾(うら)み起(お)こるときは制(せい)に違(たが)い、法(ほう)を害(やぶ)る。ゆえに初(はじ)めの章(しょう)に云(い)う、上(じょう)下(げ)和(わ)諧(かい)せよ、と。それまたこの情(こころ)か。

 「私」に背を向け、「公」のために向かって進むのは、臣下たる者の道である。
 およそ人に「私」があるならば、必ず他人に対して怨恨(えんこん)の気持ちが起こる。怨恨の気持ちがあると、必ず心を同じゅうして行動することができない。心を同じゅうして行動するのでなければ、私情のために公の政務を妨げることになる。怨恨の心が起これば、制度に違反し、法を破ることになる。
 だから第一条にも、「上下ともに和らいで協力せよ」といっておいたのであるが、それもここで述べたことと同じである。

◎第十六条
十六曰、使民以時、古之良典。故冬月有間、以可使民。従春至秋、農桑之節。不可使民。其不農何食。不桑何服。

十(じゅう)六(ろく)に曰(いわ)く、民(たみ)を使(つか)うに時(とき)をもってするは、古(いにしえ)の良(よ)き典(のり)なり。ゆえに、冬(ふゆ)の月(つき)に間(いとま)あらば、もって民(たみ)を使(つか)うべし。春(はる)より秋(あき)に至(いた)るまでは、農(のう)桑(そう)の節(せつ)なり。民(たみ)を使(つか)うべからず。それ農(のう)せずんば、何(なに)をか食(く)わん。桑(くわ)とらずば何(なに)をか服(き)ん。

 国民に労働力を提供させる場合には、時期を選べ、というのは、古くからの良い伝統である。ゆえに、国民を公務に使うのは、暇(いとま)のある冬の月にすべきである。しかし春から秋にいたる間は農繁期であるから、国民に労働を課してはならない。農業がなされなかったら、何を食べたらよいのか。養蚕(ようさん)がなされなかったら、衣服を着ることができないではないか。

◎第十七条
十七曰、夫事不可独断。必与衆宜論。少事是軽。不可必衆。唯逮論大事、若疑有失。故与衆相弁、辞則得理。

十(じゅう)七(なな)に曰(いわ)く、それ事(こと)は独(ひと)り断(だん)ずべからず。必(かなら)ず衆(しゅう)とともに論(ろん)ずべし。少(しょう)事(じ)はこれ軽(かろ)し。必(かなら)ずしも衆(しゅう)とすべからず。ただ大(だい)事(じ)を論(ろん)ずるに逮(およ)びては、もしは失(あやまち)あらんことを疑(うたが)う。ゆえに衆(しゅう)と相(あい)弁(わきま)うるときは、辞(こと)すなわち理(り)を得(え)ん。

 ものごとを決断することに、一人で断定してはならない。必ず多くの人々とともに議論すべきである。小さなことがらは、それほど重要でないから、必ずしも多くの人々と議論することもない。ただ重大なことがらを議論するにあたっては、あるいは過失がありはしないかという疑いがある。だから多くの人々とともに論じ、互いに納得するようにしていけば、そのことがらが道理にかなうようになるのである。

2020年05月06日